福岡農総試研報16(1997)
突然変異育種法の1つである, ビール大麦成熟胚培養の有効性を明らかにするため,成熟胚由来カルスの誘導における予浸処理条件と,その再分化系統の生育特性,収量性及び麦芽品質について調査した。その結果,カルス誘導率には品種間差があり,予浸処理については2,4-Dを含むMS改変培地に比べて滅菌水が有効であった。
ビール大麦‘ニシノゴールド’から再分化した5系統の生育特性を,原品種の‘ニシノゴールド’と比較すると,稈長,穂長で変異が見られ,短稈,短穂及び長穂の系統があった。収量性では,原品種に比べて劣るものが4系統あった。麦芽品質では,総合評点で原品種を上回るものが3系統あり,ジアスターゼ力では全ての系統が原品種を上回っていた。
[キーワード:成熟胚培養,農業形質,培養変異,麦芽品質,ビール大麦]
Callus Induction from Mature Embryo Culture and Somaclonal Variation
of Agronomic Characters and Malting Qualities of Regenerated Plants in
Malting Barley. YAMAGUCHI Osamu, Minoru YOSHINO, Ryo YOSHIKAWA
(Fukuoka Agricultural Research Center, Chikushino, Fukuoka 818 Japan) Bull.
Fukuoka Agric. Res. Cent. 16: - (1997)
In order to evaluate mature embryo culture in mutation breeding,
we investigated the effects of pre-soak on the response in mature embryo
culture and somaclonal variation of agronomic characters and malting qualities
of regenerated plants in malting barley. Water was more efficient in callus
induction than modified MS medium included 2,4-D as the liquid for pre-soak.
Five lines were derived from 'NISHINO GOLD' mature embryo culture.
Some of them were different from 'NISHINO GOLD' in culm length and spike
length. Yields of the four lines were lower than 'NISHINO GOLD' and the
rest was equal to that. Total malting qualities of the three lines were
higher than 'NISHINO GOLD' and diastatic power of all lines were higher
than‘NISHINO GOLD'.
[Key words: agronomic character, malting barley, malting quality, mature
embryo culture, somaclonal variation]
緒 言
従来の交雑育種法は,有用母本の交雑から得られた変異を選抜・固定していくため,母本より飛躍的な早熟化,極短稈化,多収化を図るには限界があり,また,新しい品種を育成するにも長い年月が必要である。そこで期待する変異を作出するために,突然変異育種法の利用が考えられる。通常は,放射線を用いた突然変異体の作出が一般的であるが,そのためには放射線照射施設等特殊な施設を要するため,より簡易な突然変異育種法の開発が必要である。
近年,突然変異体作出を目的としたオオムギの未熟胚,成熟胚の組織培養においては,培養カルスからの植物体再分化が可能であり3,10),再分化した植物体の出穂期,稈長,1穂粒数などに大きな変異があること9)が報告されている。しかし,効率の良い培養方法は十分検討されておらず,また組織培養によって再分化した植物体を標準栽培で農業形質及び麦芽品質まで評価した報告はない。そこで,突然変異育種法としての成熟胚培養の有効性を明らかにする目的で,成熟胚由来カルスの誘導条件のうち予浸処理の効果と,得られた再分化系統の生育特性,収量性及び麦芽品質について調査したのでその概要を報告する。
試 験 方 法
1 成熟胚由来カルスの誘導における予浸処理条件
試験には第1表に示す9品種・系統を用いた。50%H2SO42時間浸漬処理により穀皮を取り除き,5℃で4時間予浸した。これより摘出した胚を70%エタノールで30秒,1%次亜塩素酸ナトリウム溶液で15分間滅菌し,滅菌水で3回洗浄してカルス誘導培地に置床した。25℃,暗黒条件下で約2カ月培養後にカルス誘導率を調査した。調査したカルスは,継代培地に移植して2〜3カ月培養し,さらに再分化培地に移植して,25℃,約5,000ルクス,14時間照明で約2カ月間培養後,再分化率を調査した。置床胚数は成熟胚を1シャーレ当たり6〜8個,1品種・系統当たり4〜10シャーレ置床した。基本培地としてMS改変培地4)(pH5.6,ショ糖30g/l,微量有機成分はイノシトール100mg/l,塩酸チアミン0.1mg/lのみを含む)を用いた。基本培地に2,4-Dを10mg/l,カザミノ酸2g/l添加したものをカルス誘導培地,カルス継代培地とした。また,基本培地を再分化培地とした。各培地ともゲランガムを2g/l添加し,直径9cmのプラスチックシャーレ中に約15ml分注して固化させた。予浸処理については,小麦のカルス誘導に効果のあるとされている2,4-Dを10mg/l添加しショ糖を無添加のMS改変培地と,滅菌
水とで比較した。
2 再分化系統の生育特性,収量性及び麦芽品質
1990年に ‘ニシノゴールド’ の成熟胚培養で再分化した5個体を順化した後,圃場で栽培し,増殖種子を得た。これらの種子を1991年度(播種年度,以下同じ)に1粒点播し,原品種‘ニシノゴールド’を対照として,稈長,穂長,穂数,1穂粒数及び穂幅の変異を調査した。
また1992年度に,播種期11月30日,播種量0.7kg/a,施肥量窒素成分6+3kg/10a(基肥+追肥),栽培面積3.75u,2区制でドリル播標準栽培を行い,生育特性と収量性を調査した。麦芽品質の分析は,栃木県農業試験場栃木分場に依頼した。
結果及び考察
1 成熟胚由来カルスの誘導における予浸処理条件
第1表に2つの予浸処理におけるカルス誘導率を示した。供試した9品種・系統の間及び2つの予浸処理の間でカルス誘導率に差がみられた。予浸処理については,滅菌水で処理した場合,全品種・系統のカルス誘導率は50%以上であり,その平均は73.3%であった。一方,2,4-Dを含むMS改変培地で処理した場合,全品種・系統のカルス誘導率の平均は44.1%であり,10%以下のものもあった。笹隈ら8),Chowdhuryら2)は小麦完熟胚からのカルス誘導に,予浸処理を2,4-Dを含む液体培地で行うことによって直接発芽が抑えられ,カルス形成に効果的であることを報告している。本研究で同様の傾向を示す品種・系統は一部であり,予浸方法によって品種・系統間でカルス誘導の反応が異なることが推察された。以上のことからビール大麦において予浸処理を行う場合,安定してカルス誘導率を高めるためには,2,4-Dを含むMS改変培地よりも,滅菌水が有効であることが明らかとなった。
2 再分化系統の生育特性,収量性及び麦芽品質
再分化系統の検討には,‘ニシノゴールド’の成熟胚由来カルスから再分化した植物体(第1図)の5系統を用い,生育特性,収量性及び麦芽品質について調査を行った。第2表に‘ニシノゴールド’から得られた再分化系統の形態的変異を示した。原品種‘ニシノゴールド’と比較すると,再分化系統のうち稈長では4系統が短稈化し,穂長では2系統が短穂化し,1系統が長穂化した。1穂粒数では2系統が多粒化し,1系統が少粒化し,穂幅では3系統が広くなった。穂数はどの系統も有意差はなかった。高橋ら9)は,大麦完熟胚由来カルスの液体細胞系から得られた再分化植物体を調査し,ビール大麦‘はるな二条’由来の再分化個体は,出穂はやや遅く,稈長,節間長はやや短く,茎数,乾物重は少ない傾向を示したと報告している。本研究で,稈長の変異を示した4系統は全て短稈化しており,成熟胚由来カルスから再分化した植物体にみられる培養変異が短稈化の傾向にあることが推察された。
第3表に‘ニシノゴールド’と再分化系統の栽培試験での生育特性と収量性を示した。再分化した5系統の特性は,原品種の‘ニシノゴールド’と比較して,稈長,穂長では再分化1が4cm短稈,0.5cm短穂,再分化3が0.7cm長穂であった。また,穂数では‘ニシノゴールド’がu当たり430本に対し,再分化2,5がやや少なかった。第2表において有意差を示した系統のうち,栽培試験でも前年度と同様の傾向を示した系統は再分化1,3であった。耐病性では,うどんこ病にどの系統も罹病性を示した。被害粒の側面裂皮粒の発生では,‘ニシノゴールド’の側面裂皮粒率は多発年には20%を超えるが,1992年度は1.5%と少なかった。また,再分化系統の同年度の側面裂皮粒率も0.9〜6.0%と少なかった。このため再分化系統の中から,側面裂皮粒率が原品種よりも少ない変異系統を選抜することはできなかった。ちりめんじわ,粒形,外観品質,及び検査等級については原品種と同程度であった。一方,収量性については,再分化4が原品種と同程度で,他は全て低収であった。
突然変異体は,収量性の向上した個体の作出が難しいとされている1)。そのため収量性で有望系統を得るには多くの変異体を作出する必要がある。本研究で得られた再分化系統の中には原品種‘ニシノゴールド’を上回る収量性を示す系統はなかった。したがって,‘ニシノゴールド’の欠点の1つである低整粒歩合,低収を改善した系統を得るためには,より多くの再分化植物体を作出する必要があると考えられる。
第4表には‘ニシノゴールド’と再分化系統の麦芽品質を示した。再分化3,4及び5の麦芽品質の総合評点は,原品種‘ニシノゴールド’を上回った。特に再分化3は,総合評点が‘ニシノゴールド’より7.4高く,麦芽品質の点で優れていた。また項目別では,ジアスターゼ力が原品種‘ニシノゴールド’に比べて全ての系統で高かった。
Ryanら6)は,コムギ未熟胚由来カルスの再分化系統について収量及び品質を調査し,高収量の系統は得られなかったが,多くの品質特性に関する有用な変異があったことを報告している。本研究でも,収量性については原品種を上回る系統はなかったが,麦芽品質については原品種を上回る系統が得られ,培養変異が品質向上に有効であることが推察された。
本研究における‘ニシノゴールド’の再分化系統の作出率は1.0%と低かった。また他の品種・系統も0〜4.0%と再分化率が低く,再分化植物体はガラス化或いは褐変化のため,軟弱で馴化,鉢上げできなかった(データ省略)。このためビール大麦の成熟胚培養では,再分化植物体が軟弱化のため馴化,鉢上げしにくいこと,多数の胚の置床に多大な労力を要すること,カルス誘導やカルスからの再分化が困難な品種が多数あること5)等から,多数の再分化植物体の作出は難しく,供試できる品種も限られてくるものと考えられる。したがって,成熟胚培養系を用いる場合,再分化率の高い品種を供試し,あらかじめ短稈化,麦芽品質等,改良したい形質を特定した上で利用する必要がある。
謝辞:本研究にあたって,栃木県農業試験場栃木分場ビール麦品質改善指定試験地には,麦芽品質の分析に協力をいただいた。ここに深く御礼申し上げる。
引 用 文 献
1)逢原雄三(1963)突然変異個体の選抜.育種学最近の進歩 第4集:88-95
2)Chowdhury.S.H., K.Kato and K.Hayashi (1990) Plant regeneration from
mature embryo derived callus in wheat. 育雑40(別1):50-51
3)石井千津・佐藤兼一・岡村正愛・松野司法(1986) オオムギ幼穂及び未熟胚からのカルス形成能と植物体再生能の品種間差異.育雑36(別2):220-221
4)Murashige,T. and F.Skoog(1962) A revised medium for rapid growth
and bioassays tobacco tissue cultures. Physiol. Plant., 15:473-497
5)力石和英・安田昭三(1994)オオムギ品種における完熟胚及び未熟胚由来カルスの再分化能の比較.岡山大資生研報2:33-42
6)Ryan,R.A., Larkin,P.J. and Ellison,F (1987) Somaclonal variation
in some agronomic and quality characters in wheat. Theor. Appl. Genet.,
74:77-82
7)劉 洪軍・三十尾修司・上島脩司・澤野 稔(1992)コムギの未熟胚培養におけるカゼイン加水分解物の添加効果.育雑42:367-373
8)笹隈哲夫・劉 朱美(1988)コムギ完熟胚由来カルスからの植物体再生とその変異.育雑38(別2):186-187
9)高橋 進(1990)オオムギ完熟胚由来カルスの液体細胞系から得られた再分化個体の比較.育雑40(別2):38-39
10)鵜飼保雄・西村繁夫(1986)オオムギの種子,成熟胚および幼胚からのカルス形成と再分化.育雑36 (別1):30-31