福岡県農総試研報15(1996)
階層構造分析(AHP)を応用した「AHP−COAS」を用いて,農業者の意識を数値化した。分析対象は,基幹作物を持ち経営が安定している県内中山間地域の集落で行った。分析は,基幹作物が異なる2集落の集落間比較と,1集落全戸調査による属性や年齢階層の違いによる比較を行った。
集落間比較では,両集落ともに「営農意欲」や「リーダーの存在」という人的用件を重視している。さらに,集約作物を導入している集落では「圃場整備」も強く求めていることが明らかとなった。
また,集落全戸調査では,後継者は将来に対する個人の営農意欲を重視し,経営主は,40歳以上60歳未満では現状の経営を維持・発展させるための条件を,60歳以上は関係機関の協力や集落内の横のつながりを求めていることが明らかとなった。
以上のことから,階層構造分析は農業者の意識を定量的に把握できる。そして,農業者の意向を組み入れた地域農業の振興方策を策定する場合の1つの有効な手法として活用できる。
[キーワード:階層構造分析,農業者意識,数値化,中山間地域]
Quantitative Study on Farmers' Mental Structures Using 'Analytic
Hierarchy Process' (AHP): A case study in a mountainous area . YOKOYAMA
Toshiyuki , Hideto NAKAHARA and Souichiro IMABAYASHI (Fukuoka Agricultural
Research Center, Chikushino, Fukuoka 818, Japan) Bull. Fukuoka Agric. Res.
Cent. 15: 1-4 (1996)
The authors studied quantitatively, the mental structures of farmers'
in two advanced rural communities , both with intensive agricultural crops
in a mountainous area in Fukuoka Prefecture with 'AHP-COAS' applied to
the Analytic Hierarchy Process (AHP) .
Both of the rural communities , attach importance to a 'Willingness
for farm management' and 'farmers' leaders' . A rural community producing
intensive crops has a tendency to demand 'Land improvement by official
assistance' . Heads of households hope for concrete conditions to be provided
for the advancement of farming . Successors point out the need of an individual
willingness for f arm management .
AHP is a tool for qualifying farmers' mental structures and clarifying
the differences in three structures . Also, AHP will provide an effective
indication for the choice of promotive measures to be taken .
[Key words: analytic hierarchy process , farmers' mental , mountainous
area, quantitative]
緒 言
地域に根ざし魅力ある振興方策を策定するためには,対象となる地域の社会・経済構造や農業構造の実態を分析・把握することに加えて,主体である農業者(地域住民)の意向を組み入れることが重要である。
かし,人の意識や価値観は多様であり,地域住民の意向も様々である。これまで地域住民の意向は,アンケート調査などによって取りまとめられてきたが,個々人の意向の度合い(強さ)は表現しにくく,総体的な傾向しか把握できないという問題を抱えていた。
近年,人の意識や価値観など主観的な要因を数値化する手法が開発されている1)。数値化することにより,個々人の意向の度合いの大小が把握でき,また,他人や全体の意識との共通・相違といった関係など,分析結果を定量的に表現できる。
本稿は,この手法の1つである階層構造分析(AHP)を応用し開発された「AHP‐COAS」2)を用いて,農業者の意識を数値化する。そして,個々人の意識の違いを集落間や属性・年齢階層別に定量化して,農業者が何を問題にし,何を・どの程度望んでいるかを明らかにする。分析対象は,現在の農政の主要な政策課題であり,地域に根ざした振興方策の策定が強く求められている中山間地域を捉え,県内中山間地域の中から,基幹作物を持ち経営が安定している集落で行った。
ただし,今回の分析は対象を2集落に限定しているため,得られた結果は対象の範囲内に限定される。
1 福岡県における中山間地域農業の概要
分析対象とした福岡県の中山間地域(本稿では,農林水産省統計情報部の「農林統計に用いる地域区分」の「山間農業地域」と「山間農業地域」とする。)は,市町村数では97市町村のうち約3割にあたる29市町村が該当する(第1図)。総農家数では県全体の25.7%,農家人口は24.4%,農業就業人口は25.0%,農業粗生産額は25.4%と,約4分の1を占めている。また,経営耕地面積の構成比では,中山間地域は樹園地(中間地域は果樹園が全体の20.5%,山間地域は茶園が全体の24・1%)の割合が高い(1990年センサス)。
第1図 福岡県の中山間地域
2 対象集落の概況
分析に入る前に,両集落の集落構造の特徴と担い手の状況を整理する。
(1)星野村M集落
M集落は星野村の北西部に位置し,標高は集落の中心が350mで,圃場の大半はさらに高く,最高600mにある。1990年センサスでは,総農家数59戸(すべて販売農家),専業農家率42.4%(星野村平均13.1%),1戸当り経営耕地面積130a(同60a)と村平均を上回る集落である。集落の基幹作物は花木である。当初,花木は茶園が成園になるまでの補完作物として導入された。その後,この花木導入の先駆者であり,集落のリーダー的存在にあるY氏の努力(Y氏が確立した花木の生産・販売技術を公開し,新規参入者を援助し,組織的な生産・販売活動を確立した。)や,集落の土壌・気象条件が花木栽培に適していたことなどから,1965年以降,集落内に急速に拡大した。
集落の担い手の状況を年齢別農業就業人口でみると,総数は135人で,50〜59才が66人,48.9%(星野村平均27.8%)で,この年代が担い手の中心である。しかし,それ以下の年代は30〜49才が19人,14.1%(同20.5%),29才以下が7人,5.2%(同6.8%)と低く,今後の担い手確保が課題である。
(2)矢部村H集落
H集落は矢部村の北部に位置し,標高は集落の中心が520m,圃場は500m〜600mにある。総農家数は13戸(1990年センサス),うち専業農家は5戸で,専業農家にはすべて後継者が残っている。経営形態は,茶+シイタケ(菌床栽培)+水稲が1戸,茶+イチゴ+水稲が4戸である。
また,1970年から1990年の20年間に,矢部村平均の1戸当り保有山林面積は470aから409aへと13%減少しているが,H集落では575aから785aへと37%増加している。これは,経営基盤が農林業を中心に維持されていることを示している。
しかし,近年は林業の相対的地位が低下している。後継者は兼業に出ながらも,林業に代わる新規作物として,いくつかの作物を導入し,専業経営の確立を模索していた。現在,当集落は集約作物のイチゴを導入することによって,茶+イチゴ(水稲は保有米)の専業経営を確立している。
3 分析手順
(1)分析方法
階層構造分析(AHP)はアメリカのサーティーによって開発された意志決定支援手法で,人の意志決定を支援する手法である2)。
本稿で用いる「AHP‐COAS」は,AHP分析の過程を応用したもので,東北農業試験場農村計画部が開発したものである2)。
手順は,まず最終目標を定め,その目標を判断するための評価項目を抽出し,階層図を作成する。この手法は階層図作成が最も重要で,対象地域の現状や最終目標を的確に捉える評価項目の選定が必要である。
次に,各階層ごとに,評価項目の中から2つを取出し,その評価項目の上位階層に対して相対的重要度を回答者に質間する(一対比較)。回答者は与えられた選択肢(第1表)から回答し,すべての評価項日について繰り返す。最後に,回答結果に一対比較値(第1表)を与えて,各評価項目の重要度を算出する。
本稿は前述の2集落を対象に,農業者の意識を数値化し,集落間比較と集落全戸調査による属性・年齢階層別の2種類の分析を行った。
(2)階層図の作成
集落間比較の階層図(第2図)は,最終目標を「中山間地域において営農するための条件」として,第2階層を「人」,「生産基盤・技術」,「意欲」,「関係機関」で分類し,さらに第3階層として,各々を3〜4の評価項目に分けた。この階層図の作成は,農業者の営農意欲を支えているものは何かという視点から,「意欲」項日を独立させた。
集落全戸調査の階層図(第3図)は,@第2階層の「人」と「意欲」はともに人的用件であるため1つにし,新たに「基幹作物」を加えた。A第3階層では意味が似ている評価項目は整理し,集落間比校で重要度が低かったものは削除した。この階層図の作成では,H集落の基幹作物である「茶」に着目し,これまで茶を維持してきた経営者層と,集約作物を導入し,イチゴヘ移行しつつある後継者層との意識の違いを明らかにしたいという視点から「基幹作物」を設けた。
第1表 一対比較選択肢と一対比較値
─────────────────────
一対比較値
一対比較選択肢 ───────
A B
─────────────────────
Aの方が絶対に重要 9 1/9
Aの方が重要 5 1/5
AとBの重要性は同じ 1 1
Bの方が重要 1/5 5
Bの方が絶対に重要 1/9 9
─────────────────────
4 分析結果
(1)集落間比較
回答者は7人で,星野村M集落が「星野緑花木センター」の組合員(30〜50歳代)4人で,矢部村H集落が集落リーダー及び後継者(30歳代)2人の計3人である。分析結果から,両集落の共通点・相違点を整理した。第2表に示すように,共通点としては両集落ともに第2階層の「意欲」と「人」の重要度が高い。つまり,農業者が営農意欲(やる気)を持ち,彼らを引っ張るリーダーの存在という,経済価値では判断し得ない人的要件が強く求められている。
また,両集落とも「生産・販売の組織化」・「集落のまとまり」・「特定作物の選定」の3項目で,全体の20%弱を占めている。中山間地域のように未整備・零細規模の園場条件下では,個別の生産・販売量は小さいため,農産物流通の中心である卸売市場においては,市場競争力が弱い。そのため,特定作物を選定し,組織的な生産・販売を行うことを重視していると思われる。そして,人的要件にも表れているように,集落内における近隣者の相互扶助意識は高く,集落のまとまりを重視している。
相違点としては,イチゴが導入されているH集落では,M集落に比べ「園場整備」の重要度が高い。従来,圃場整備は一般平坦地における士地利用型作物の効率的生産を主たる目的としていたが,中山間地域に位置するH集落の結果から,集約作物の導入柔件として強く求められていることが明らかとなった。
(2)集落全戸調査
集落間比較では,回答者は代表者であって,必ずしも集落全戸の意向ではない。また,同一集落内であっても,各農家の経営内容や回答者の属性・年齢階層などによっても意向は様々であると考える。
そこで,矢部村H集落を対象に集落全戸調査(経営主及び後継者)を行い,集落全体の意向を把握するとともに,回答者の属性・年齢階層別にどのような意向の違いがあるのかを検討した。
調査は全戸(13戸)に対して行ったが,回答が得られなかったものや回答の整合性(回答が首尾一貫しているか否かを,整合度(C.I)と整合比(C.R)で判断する。今回は,C.I=C.R<0.3とした。)から,最終的に11人の有効回答を得た。
ア 属性別
各評価項目の総合重要度を経営主と後継者とに分けて集計した結果,第3表に示すような両者の意識の違いが明らかとなった。
経営主は,「今ある作物の維持・拡大」が最も高く,続いて「生産・販売の組織化」,「リーダーの存在」となっている。これは,茶を基幹とした現在の作物が経営に適していると考えながらも,零細な経営規模の下で,今後,今ある作物を維持・拡大するためには,生産・販売の組織的対応が必要であると判断している。つまり,経営主は現在の経営を継続するための環境条件に対し最も強い関心があると考えられる。
これに対し後継者は,「チヤレンジ精神」が最も高く,続いて「圃場整備」で,それ以下の総合重要度は低くなっている。つまり,現状のイチゴ導入にともなう園場整備を求めながらも,それ以上に,将来に対する個人の営農意欲(やる気)を重視している。
イ 年齢階層別
次に,各評価項日の総合重要度を年齢階層別に集計した結果,第3表に示すような意識の違いが明らかとなった。
20歳以上40歳未満は,前述の後継者であり,将来に対する個人の営農意欲(やる気)を重視している。現在,集落の中心的な担い手である40歳以上60歳未満は,今ある作物の維持・拡大を強く求めており,そのために必要な条件として,「生産・販売の組織化」,「園場整備」,「リーダーの存在」という項目を重視している。
これに対し60歳以上は,他の階層では下位にある「新技術の開発・指導」や「集落のまとまり」の総合重要度が高い。これは,高齢になるほど将来の自分の経営に対して不安感を抱くため,関係機関の協力や集落内の横のつながりを求めていると考えられる。
4 むすび
階層構造分析を用いることにより,従来のアンケート調査では把握が困難であった人の意識の数値化が可能となった。
集落間比較では,両集落ともに「営農意欲」や「リーダーの存在」という人的用件に対する意向が強く,改めて,中山間地域の「人」の問題の重要性が確認できた。今後は,従来から行われてきた生産基盤の整備とともに,「人づくり」の視点に立った対応が求められる。
また,集落全戸調査では,後継者は将来に対する営農意欲を重視し,経営主は,40歳以上60歳未満では現状の経営を維持・発展させるための条件を,60歳以上は関係機関の協力や集落内の横のつながりを求めるなど,属性・年齢階層の違いによる意向の差異を数値化できた。
このように,主体である農業者の意識を数値化し,積み上げる(ボトムアップ)ことは,地域に根ざした振興方策を策定するために重要なプロセスである。そして,数値化した結果をもとに地域住民との協議を重ね,地域住民の参加のもとで具体策を創り上げる必要がある。そのための手法として階層構造分析は有効な手段であると考える。
引用文献
1)浅井悟・門間敏幸・安中誠司(1992)AHPによる住民意識構造の分析システム(AHP‐COAS).東北農村計画研究9:5−25.
2)浅井悟・門間敏幸・安中誠司(1992)AHPによる住民意識構造の分析システム(AHP−COAS).東北農村計画研究9:99−124.